NPFCの歴史
History

NPFCの歴史History

NPFCの創設とフィットネス

名古屋フィジカルフィットネスセンターは、現会長・長谷川 恒信により、当時では珍しい「フィットネス」という概念を一般庶民に浸透させるために、1970年に創設されました。日本にフィットネスを広めた一人者として、戦後のフィットネスと、npfc創設の歴史を手記にしました。全文はブログにて公開しますので、ぜひご一読ください。

1950年代
〜当センター会長と、日本におけるフィットネスの夜明け〜

恒信は1950年代、YMCAスタッフとして、当時としては珍しい総合的な体育施設を備えた東京YMCAでもインターンを経験し、北米から取り入れられたばかりのバスケットボール、バトミントン、バレーボール、器械体操に加え、日本古来の空手や柔道などの指導実習を経験しました。その後、名古屋YMCAに戻ってからもディレクターとして、全国のフィットネスリーダーとの交流や、東京大学、名古屋大学や北米YMCAとも親交を深め、日本におけるフィットネスの先駆者として活躍しました。
北米YMCAから輸入されたばかりの"physical fitness"という概念と出会いは、現在の名古屋フィジカルフィットネスセンターの礎となりました。

世界各国はそれぞれの"physical fitness=総合的な心身の適性を高める"ための取り組みがある中、日本ではフィットネスという新しい概念に戸惑いながら、体育の現場では試行錯誤を繰り返ていました。その現場のリーダーとして、恒信は「体育嫌いの小学生のための体育が好きになる教室」を企画し、小学生に対して徹底的に楽しい身体活動を前提としたプログラムを確立させていきました。

1960年代
〜幼少フィットネスと、女性の躍進〜

1960年代は、幼少期のフィットネスという概念がありませんでした。多くの保育園や幼稚園の体育の授業は、簡単なボール遊びやブランコ、ジャングルジムなどの野外遊びが中心でした。しかし、当時の日本において、幼児体育分野に関わる研究データはそれほど多くなく、幼児体育の専門的な指導者も皆無状態でした。そうした時代背景の中、恒信は、幼児フィットネスという新しいプロジェクトの開発と普及に携わり、東海地方のキリスト教系の幼稚園を中心に、YMCAからインストラクターを派遣するシステムが確立していきました。
また、アメリカからエアロビクスやジャザサイズ、母子水泳教室などが日本に伝わり、それまで男性中心だったYMCAが、女性や子供に向けたプログラムを導入したことから、フィットネスという概念が一気に世の中に浸透し始めました。

1970年代
〜名古屋フィジカルフィットネスセンター創設〜

恒信は14年間務めたYMCAを退社し、1970年、「いつでも、どこでも、だれでもできる健康づくり」を旗印に、センタージムを持つことなく、フィットネス教室へインストラクターを派遣する「健康の出前」をコンセプトとした名古屋フィジカルフィットネスセンターを創設しました。
1970年代はphysical fitnessという言葉がまだ珍しく、新たな生活文化への提案として注目され始めていました。また1980年代のバブル経済とともに、人々のライフスタイルが大きく変わり、フィットネスへの関心が大きく拡大しました。当センターはそんな中、テレビやラジオでも頻繁に紹介され、文化センター、幼稚園、保育園、学校法人、行政など、様々な機関へのインストラクターの派遣へつながりました。

当センター会長の手記全文

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