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当センター会長の手記 ① -My Life with Fitness-
YMCAのスタッフとして1


幸運にも傘寿半ばを過ぎ、生涯のライフワークとなったフィットネスとの出会いから現在に至る過程を自分史的にまとめてみた。

1955 年(昭和 30 年)名城大学卒業を控えて就活や今後の生活を模索しながら、多く若者が出入りする名古屋YMCの英会話教室に通い、またクラブ演劇活動の一環としてユニークなギニヨール人形劇クラブ活動に参加したり、フォークダンスや各種の室内スポーツで汗を流し、気楽な青春期を過ごしていた。
その年末、会員 200 人以上が集まる盛大なYMCAクリスマス会員晩餐会の総合司会の担当を要請 され、冷や汗をかきながらのパーティー進行を仕切り、大勢の人前での司会者の貴重な体験を味わ った。それを契機に YMCA 主催の様々なスポーツ文化イベントの企画や運営にかかわる機会が与えられた。翌年早々に、思いかけず当時の名古屋YMCA笠谷総主事から丁重な長文の手紙と共に、 YMCA スタッフとして就任のお誘いを受けた。私は明確な人生設計もないまま、偶然の幸運な招聘を受けてYMCAスタッフに就任という重大な決断を気楽に受諾してしまった。

その後、好きだったインドアスポーツ活動が生かされる体育主事としての任命を受け、新たな体育事業を責務とするスポーツトレーナーとして自己改革に挑戦する機会を得ることになった。

数年の歳月を経て 1960 年頃から人生での運命的な出会いとなった北米YMCAからの導入されたFitness という聞きなれない未知の言葉を耳にするようになった。それは日本で初めて見聞する斬新な Physical Fitness という未知の概念であり、この偶然な出会いがその後の私の生涯の Lifework になるとは夢にも思わなかった。

この時代は戦後の混沌期から、朝鮮戦争、ベトナム戦争、日米安保闘争などの重苦しい国際情勢の渦に巻き込まれていた。他方では戦後の社会経済の流れが IT 革新の急速に成長拡大とともに、アナログ社会からデジタル社会の巨大な社会構造の変革をもたらし、否応なく個人のライフスタイルも変化の流れに飲み込まれていった。連日の目まぐるしい変革に戸惑いながらも多様な未来論を読み漁り特にアービン・トフラー著の未来の衝撃などに熱中しながら、加速するバブル景気に振り回されてい った。

終戦直後の名古屋駅裏は広大な闇市が熱気を煽り、爆撃により焼け野原と化した市内には未だ多くの廃墟が存在していた。この当時の混乱と猜疑に包まれた多くの若者たちにとって、YMCA 会館のみが数少ない安全で健康な活気溢れる青少年の交流活動の場であった。

多くの青少年は未知との遭遇を期待し、イノベーションの波にもまれながら、地域の文化センター的な役割を持つYMCAを通して次々の新たな情報を求め、目新しい欧米文化に触れ、多様な実践活動が展開されていた。
私は就任2年後の1957年に東京の日本YMCA同盟主事研究所での1年間のインターンシップに参加することになった。研修テーマは伝統的な YMCA の社会体育の実践的な体験学習であった。

ちなみに個人的にはスポーツ好きではあったが本格的なスポーツ・体育に関わる専門的な知識や実践キャリアもなく、私にとって全く新しい視点で社会体育を重点的に研修することになった。
この年のYMCA同盟研究所に全国から集まった新入同期生 11 名が参加した。同期生達は夫々 独自の専門技能やキャリアに溢れ個性的なフレツシュマン仲間であった。その後、殆どの仲間達は各都市のYMCA総主事として重責を背負い、有終の美を飾ったスタッフであった。


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