1946 年 WHO(世界保健機構)による健康憲章が提示され、「健康とは、単に疾病あるいは虚弱でないというのみならず、身体的・知的・精神的・社会的に完全に良好な状態(Well-being)である権利を有する」という基本方針が示された。
アメリカでは 1950 年代から既に Fitness という新しい体育文化が芽生えていた。
その背景には、第二次世界大戦直後に、戦禍で瓦礫と焦土と化したヨーロッパ諸国の劣悪な生活環境や食糧事情の中で発育期の子供たちの健康状態や体力の実態調査のため、Kraus-Weber 博士考案によるクラウス・ウエーバーテスト(体力テスト)が契機となっていたと語り継がれている。
それは当時、戦禍の残るヨーロッパでは食料不足や栄養不足状態が続き、学校に通う児童たちは破壊された瓦礫の中の往復を強いられていた。しかしその過酷な環境に耐えながら、学校までの通学の歩行を強いられていたことが結果として毎日の長い歩行が有効なトレーニング負荷となり、子供たちの適切なウオーキングエクササイスによる呼吸循環機能を高め、生活の中で筋持久力を養うトレーニング成果となって身体機能を高めていたと推測され、テストの結果は予測を超えて 93%の子供達がこの体力テストで高い評価を記録した。
調査団は帰国後、同一テストをアメリカの児童達にも実施したところ、皮肉にも戦勝国として高度の文化生活を享受していた米国の児童達は、安易な生活の利便性と恵まれた食生活などから全般的に運動不足による肥満や身体的な機能の弱体化に移行し、僅か 43%しか体力テストに成功しなかったという結果が表れた。それは戦勝国アメリカが世界に先駆けて経済発展を続け、文化生活の最先端をいくモータリゼーション社会での身体的活動の不足や、飽食による肥満などが皮肉にも体力低下をもたらしていたと推測された。
この衝撃的な実態がホワイトハウスに報告され、将来の米国の国防に深刻な影響をもたらすことを警告した。その結果、アイゼンハワー大統領は直ちに直轄の議会で体力諮問委員会を発足させ、全国民のために Fitness plan を選定し、全州に渉る青少年のための健康推進策が次々と企画された。
それまで地域のスポーツセンター的役割を果たしていた全米各地の都市 YMCA が、その普及啓蒙の責務を背負い 1955 年にNYで全米 YMCA Fitness clinic が開催され、これを契機に全米の YMCAが組織を挙げて Physical fitness 事業を展開するようになった。
やがて米国の先進的で近代的な都市化が自然環境の悪化をもたらし、さらには Easy life による運動不足による身体機能の弱体化という健康阻害が警告され、国民の自発的な健康志向が急速に拡大していった。それはケネディー大統領の提唱した“青少年よ、一日 15 分は走れ”などのキャンペーンでジョギングブームが巻き起こり、人々の健康志向やメディアのキャンペーンで急速に Fitness ブームに拍車がかかった。