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当センター会長の手記 ⑥ -My Life with Fitness-
名古屋YMCA とYouth Fitness(幼少年体育)の黎明期

第二次世界大戦後の瓦礫と焼け野原から徐々に復興し、1949 年 4 月 16 日に中区西川端町にYMCA 会館が建設された。昭和 25 年第二期会館復興計画がスタートし、多くの募金により 1954 年 9 月 5日に体育館が完成し、追加工事も順調に進み 1955 年 5 月末に8年間の歳月をかけて完成した。
1965 年(昭和 40 年)YMCA で新たに三ケ年前進運動の一環で、それまでの成人青年を対象としていた室内スポーツ活動から、さらに少年体育(youth Fitness)の導入と啓蒙開発が具体化することになった。

この時期の日本はアメリカの豊かな生活文化に追いつき追い越せと経済活動に拍車がかかり、加速度的に社会構造の変革が進んでいった。それに合わせて日本人の日常のライフスタイルが大きく変化し始め、オートメーション化による簡便な生活やモータリゼーションの拡大などで、運動不足や流通革新による食生活の変化や飽食、偏食などの要因が重なって学校体育の現場では肥満児や体力遅滞児が増加し、運動能力や身体機能の弱体化が課題となっていた。

幼小年Fitness の幕開け

1965 年 4 月私はスポーツ教室の一環として「体育嫌いの小学生のための体育が好きになる教室」の企画を試みたところ、このプロジェクトが予想を超える反響で多くの参加応募者が殺到した。
そのプログラム自体は子供の自然遊びを基にして、身体トレーニングをカリキュラム化したもので、徹底的に楽しい身体活動(Physical Fitness)を前提としてプログラムを組み立てていった。


それは伝統的な YMCA キャンプでの野外ゲームや、レクリエーショナルなプログラムでその内容は直接アメリカキャンプで培われてきたもの活用したものであった。しかし Fitness という流行語の目新しさが先行し、YMCA での先進的なプログラムとして社会的なインパクトを与え、目新しいものとして受け止められたと推測している。


ただ当時の裏話となるが体育館の現場では、Fitness という新たなスポーツ文化が消化しきれず暗中模索の連続であった。毎日元気に駆けつける多くの無邪気な子供たちの笑顔に励まされ、想像と洞察、トライ&エラーを繰り返しながら挑戦を続け、スタッフと学生ボランティアとの共同作業でプログラムの改善に汗を流していた。また企画した Physical Fitness 教室に参加を望む大量の子供たちを受け入れ、当時は年齢別クラスを担当する体育専門リーダーの確保と維持が不可欠でありクラス運営の継続に不可欠な緊急課題であった。


それまで少年事業部のクラブ活動として県下の各大学生を中心としたボランティアリーダーの協力で運営されていたが、本格的な Fitness Program として構築するために専任の体育リーダーを求めて、愛知県立女子大学・愛知教育大学・南山大学・中京大学・名古屋大学・名城大学・福祉大学などに体育リーダーの募集を呼び掛け、少年体育やスポーツ教育に関心と興味を持ち、またスポーツクラブ活動に所属する有能な学生達のボランティアのスカウトの輪を広げていった。


私はこうして幼少年体育リーダーを組織化し、多様なカリキュラムを実践するために連日、長時間に渉って多様な Fitness 情報を集め、知恵を絞りながら斬新なフィトネスプログラムを開発していった。その意味で名古屋での幼少年フィットネスの黎明期を追憶すれば、大学での本来の学業よりもYMCA の新たなフィットネス開発のために、惜しみなく汗を流し、結束してくれた熱意ある当時の学生ボランティアリーダー達の存在こそが、その後に拡大し続けた YMCA Physical Fitness の普及発展の貴重な先覚者であったことを歴史に明記しておきたい。

幼児Fitness の幕開け

この頃未分化だった幼児 Fitness class 開設の要請を受け、その開発への試みとして幼児教育現場の検証の必要を感じ、市内の幼稚園や保育園の体育実態を知るために連日のように学校に足を運び、現場の幼児体育の実態や課題を模索した。
当時の幼稚園や保育園では模倣遊戯や、運動場に設置されていた固定遊具での外遊び、また伝統的なリトミックによるシンメトリックなリズム運動などは実施されていた。しかし本来の生理学を基礎とした幼児体育としてカリキュラム化された教案はなく、運動器具や運動施設なども旧態然たるものが多かった。まして成長促進化の著しい幼児の体格には不適切な小型で軽量のカラフルな運動器具 や遊具がほとんどであった。また個別のマット運動や跳躍運動などは大きな身体負荷がかかり、多くの女性教諭による補助のリスクが大きく、本格的な体育の指導が難しいとされていた。従って園内運動場ではグループの単純なボール遊びやブランコ、ジャングルジムなどの野外遊戯などに時間が充てられていた。

推測するに、当時の幼児教育専門大学での幼児体育の基本的なカリキュラムの選定状況や、一般的な教育研究機関での幼児体育分野に関わる調査や研究データー不足などが推測されていた。そのため幼児体育の専門指導者は皆無状態で、幼児体育の教案や研究教材、プログラム情報、運動器具、安全教育、技術指導コーチなどを含めて体育専門分野が殆ど未開発な状態であったと思われた。


私はこうした時代背景の中で要望され始めた幼児フィットネスという新たなプロジェクトの開発にトライし始めた。名古屋私立幼稚園協会や三重私立幼稚園協会などの要請で県下の保母研修会に招かれ、ワークショップでは幼稚園児を会場に招き実践デモを紹介した。特に名古屋市内のキリスト教系の私立幼稚園などで先駆的な幼児フィットネス教室を提案し、授業後にフィトネスクラスを開設し、他方、私立幼稚園では通常授業の担当教諭と共に体育クラスの直接指導にあたった。このシステムが後に幼児体育専任のインストラクター派遣による幼稚園での「フィットネスの出前」となった。


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