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当センター会長の手記 ⑩ -My Life with Fitness-
NPFC 概史:成長発展期(1978 年~1984 年) 1

起業後、Fitness 教室の基礎的な計画が順調に推移する中でバブル経済の上昇に伴う人々のライフスタイルも徐々に変化していった。特に主要都市を中心に合理性と簡便さが求められたアーバンライフでは、過密化による大気汚染、光化学スモッグ、交通事故、騒音公害、排気ガス、タイムレスによるストレスなど都会特有の健康阻害要因が日ごとに拡大し、生命の危機管理や健康志向などの自己防衛意識が大きく影響し Fitness 運動への急速な関心が広がったと考えられる。
そこで NPFC では健康の出前のみならず普及への足掛かりとして、まずは専門的なインストラクターの養成と同時に、新たな senior 世代への提案として当時珍しかった海外スポーツツアー(スキーやダイビング)の企画、さらに室内活動から野外活動への導入を積極的に進めた。
また国内企業の社員教育の一環としての要請を受けた社内フィットネスリーダー養成などが大きく拡大していった。

(A.)NPFC スタッフ養成研究所発足

1975 年ころから考えてきたプロジェクトとして、フィットネスインストラクターの育成事業としてインターンシップ制度を設け、地域の要望に正しく対応できる Professional な Fitness 指導員の養成研修所の開設に取り掛かかった。当時は 20 名程の多様で有能なインストラクターが所属していたが、個々の指導経験や能力に課題があり、NPFC 独自の選定基準を設定する必要があった。

その概要は 2 年間インターン生として NPFC に所属し、各種のクラス指導実技を 200~400 時間の指導体験しながら、既定の実技研修・理論学習とも各 70 時間~100 時間の研修カリキュラムを終了する。その後、NPFC認定オーディションを受け、プロインストラクターをして認定することを組織化するのが Total Fitness Academy の構想であった。

この研修要項は1週間前後の研修合宿も含め、特別技能研修として水泳指導法・スキー、スケート指導法・キャンプ技能・スピーチサイエンスなどを習得し、また日赤安全救急員の資格取得も必須条件とされた。さらにインストラクターとして必要な理想的体型の維持や、個人的健康保険の加入、指導員のリクルート、疾病や事故の緊急対応策なども含めて、各クラスの現状情報交換を緊密に取りながら、毎週1回のスタッフ会議を開き、インストラクター同士の固い Team work が継続された。

プロインストラクターとして自立するものは個人事業者として独立し、担当クラスの運営の全責務を背負い Fitness Instructor としての矜持と自信を維持する厳しい自己規律が求められた。彼女たちは当時の新たなフィットネス普及の担い手としての誇りを保ち、NPFCへの使命と仲間同士の絆に支えられながら、時代の先端を走り続けていった。中には半世紀を経て今もフィットネスの指導者として活躍している仲間に拍手を送りたい。

こうした有能な人材に恵まれながらも、特筆すべきことは、その後の強力なNPFCの基盤ともなった専任スタッフとしてメリーと弘道の存在があげられる。
1975 年メリーはNPFC発足 5 年後の晩夏、私が突然、顔面麻痺に襲われ入院を余儀なくされた。その時、事前契約していた講演が不能となり、交渉の結果メリーに代行してもらうことになった。

アメリカ人として慣れない日本語で一生懸命に講演を続け、その語り口と内容に加えて、カラフルなレオタード姿が功を奏したのか好評を受け、その後は頻繁に学校や企業から講演依頼を受けるようにな った。

これを契機にメリー自身が自発的な変革に目覚め、Fitness Instructor として自立するために3 年の歳月をかけて徹底した自己管理と身体トレーニングを積み重ねて見事に開花させた。アメリカ女性としてのパイオニアスピリットと旺盛な実践主義、加えて天性の魅惑的な姿態を駆使して絶大な人気を獲得できたことも含めて、キリスト者としての信仰に支えられ、神の大いなる恩寵に支えられた賜物として 感謝している。その過程で 1979 年愛知県で開催された国際児童年に全国在日母親の会によるシンポジ ューム開催のチーフとして活躍した後、アメリカンスタイルのエアロビクス指導で華麗な雰囲気と持ち前の笑顔でNPFCの強力な牽引車として不動のリーダーシップを発揮した。

弘道(現NPFC所長)は明治学院大学を卒業後、横浜YMCAで3年間の野外活動指導の実践体験を積み重ねていた。しかし私共はNPFCの継承者としての期待と説得を続け、過酷な試練を覚悟の上で将来のNPFCの命運を託した。潜在的に組織人として恵まれた気質を持ち、身体的に優れた資質と多彩な能力を生かしながら自己研鑽を続け、各地の研修会で運動指導員としての多様な資格を習得し、 NPFC 事業を生き継ぐために多様な所長としての実践的体験を重ねていった。

1995 年 10 月に私共夫婦は白馬に転居することを決意し、新たなセカンドライフを構築すべく出立パーティーをキャッするプラザホテルで開催し(250 名列席)また来賓として吉村愛知県知事やワコールの塚本会長のご参列と奨励も受け、華やかな門出の祝福を受けた。その席で弘道・久美子夫婦にNPFC所長のバトンタッチを公的に告知し、今後のNPFC事業の全権を引く継ぐ重責を託したのである。


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