(E) 乳幼児と母親のCombination 体操開発(Tiny Tots)
当時、西ドイツを中心に生後半年くらいからの乳児を対象とした水泳教室が話題を呼んでいた。元来、人間の出生の過程で、胎児が母体の羊水の中で育つ水棲動物としての生態反応を利用した発想である。まだ赤ちゃんが言語も歩行もできない段階で、生理学的な水棲反応を利用した水泳指導はユニークな発想で興味深かった。水中で大きく目を開け、瞬間の浮上で呼吸し、さらに浮力を利用しながら本能的な手足の推進運動などを生かし、母体の羊水環境に近い温水で抵抗感を減らし、微調整をしながら注意深く個別指導しているニュースは衝撃的であった。
当時の名古屋ではインドアプールが少なく、町に残る銭湯の利用も考えていたが簡単には借用できず、水泳教室の展開には多くの制約があった。しかし体育館なら母親と乳児のスキンシップと 10kg から 15㎏程度の乳児の体重を筋力アップのウエイトトレーニングに替わる運動負荷として、母親への指導を通して母子が一体となるコンビネーション運動の可能性に着目した。
これは楽しく興味深い projects で、簡単な座布団や段ボールなども含めて運動器具として利用し、また母親の筋力アップの運動負荷に効果的な組み合わせを考えるのは本当に楽しい創意であった。子供の個別の体重による無理な関節の負荷や牽引などに注意しながら、親子運動の様々なパーフォーマンスを創作していった。
当時は適切な参考書がなく市内の幼稚園を訪問し、図書館に通いを続け、ひたすら想像力を駆使しながら乳幼児の遊園地での自然遊びの実際を観察しながら情報を集めていたことを思い出す。
その後、成人同士の組運動も開発し、NPFC 独自の Combination Exercise として互いの体重を利用して負荷を調整し、安心と信頼の中で互いにパワーアップに有効なトレーニング法として組み立ててい った。メリーと互いにアイデアを交換し、実際の可能性を確かめ、多くの基礎資料として写真撮影で記録しながら資料作りに励んだ。これらが後に朝日文化センターから出版した夫婦のためのシェープアップの元資料ともなった。これらのハンドブックをクラスで実践し、多様なプログラムを開発し、指導手引書として利用し改良を加えながら 2 万冊に及ぶ再版を重ねることができた。
成熟安定期(1995 年~)白馬山麓での再出発
1995 年に NPFC を長男の弘道・久美子夫妻に委ね、いったんはハワイへの移住を決意して Kona にリゾートハウスを購入し、老後の新たな出発をスタートさせた。しかし僅か 3 年ほどで素晴らしい南国の夢の生活が、思いもよらぬ一本の電話で打ち切られることになった。
それは 1985 年に長野県のスキー場のメッカといわれる白馬村に当時流行りのフィンランド製のロッグハウスを購入し、夏・冬には村民の皆さんと親しい交流を続けていた。そのころに村の友人たちから白馬村にキリスト教会が建てられたら専従牧師として手伝うことをメリーが依頼されていた。その約束の教会を建築したので白馬に戻ってきてほしいとの電話だった。熱心な福音伝道主義の宣教師であるメリ ーは神の召命が最優先であることを宣言し、帰国の返事と共に白馬の別荘への転居を決断した。これは 私の描いてきたハワイでの老後設計の基本が急展開し、思いがけぬ Second Life を余儀なくされたのである。私個人としては未知との遭遇こそが人生のアクセントとして常に追い求めていたので、特別な驚きではなかったが、もう少しハワイでの異国生活を体験したかった心残りもあった。しかし夫婦相和す生活の継続を未知のスキーリゾートで過ごすのも一興と考え、直ちに再帰国し転居の手続きを始めた。 船で運んだ多くの家財道具は白馬のロッグハウスには不適であり、また部屋が狭くて収納不可能でもあ ったので貸倉庫に積み込み、身ひとつで新たな白馬の地で老後の生活を再開し始めた。